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2012年2月14日

読書日記「舟を編む」(三浦しをん著、光文社刊)


舟を編む
舟を編む
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三浦 しをん
光文社
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 この著者の作品を、ブログで書くのは、2009年の 「神去(かむさり)なあなあ日常」以来。
 前著は、草食系の若者が三重県の山村に林業研修生として送りこまれ、たくましく成長していく話し。今回は大手出版社・玄武書房営業部に勤める27歳の落ちこぼれ、馬締(まじめ)が、定年後の後継者を探していた荒木に辞書編集部にスカウトされ、辞書造りのおもしろさに目覚めていく、というストーリーだ。

 著者は、こういったちょっと変わった職種を探し出し、取材を重ねて読ませる筋立てに仕上げるがなかなかうまい。

 荒木が最初に馬締に会いに行き、辞書編集部員に向いているかどうかをテストするシーンがおもしろい。
 荒木は「しま」という言葉を説明してみろ、と問いかける。
 
「ストライプ、アイランド、地名の志摩、『よこしま』や『さかしま』のしま、揣摩臆測(しまおくそく)の揣摩、仏教用語の四魔・・・」
 ・・・荒木は急いでさえぎった。「アイランドの『島』だ」
 「そうですね。『まわりを水に囲まれた陸地』でしょうか。いや、それだけではたりないな。江の島は一部が陸とつながっているけれど、島だ。となると」
 馬締は首をかしげたままつぶやいた。荒木の存在などすでにそっちのけで、言葉の意味を追求するのに夢中になっている様子だ。
 「まわりを水に囲まれ、あるいは水に隔てられた、比較的小さな陸地」と言うのがいいかな。いやいや、それでもたりない。「ヤクザの縄張り」の意味を含んでいないもんな。『まわりから区別された土地』と言えばどうだろう」
 ・・・あっというまに「島」の語義を紡ぎだしていく馬締を、荒木は感心して見守り、辞書を取りに走ろうとするのを、あわてておしとどめた。


 馬締は、新しく編纂することになった辞書「大渡海」の実質的な編纂責任者に引き抜かれる。

 最近、本の 装丁が気になるようになった。装丁の対象になる箇所の名前は、 大阪府立中之島図書館のホームページが参考になった。

 クリーム色の「帯紙」には「辞書とは大海原を航海するための舟」と目立つ2色の大文字で書いてある。カバー(ジャケット)には、群青(ぐんじょう)一色の海原をはしる帆かけ舟と「舟を編む」という表題が銀色で「箔押し(まがい?)」してある。堺市在住の 大久保伸子のデザインだ。
 表紙は、漫画家 雲田はるこが描く辞書編集部員や恋人たちのイラストで埋めつくされている。
  定年後も編集部にお目付け役として顔を出す荒木、体調不良をおして「大渡海」完成に命をかける顧問の松本元大学教授を含めた、辞書編纂にかける〝青春群像″がまぶしい。

 辞書を完成するまでの長い過程も、興味深く書かれる。

 
「大渡海」の見出し後の数は、約二十三万語を予定していた。「広辞苑」や「大辞林」と同程度の規模の、中型国語辞典だ。後発の「大渡海」としては、読者に手を取ってもらえるような工夫をこらさなければならない。
 ・・・馬締は(毎週の会議で)意見を述べた。「『大渡海』の用例採集カードには、ファッション関係の用語が著しく不足しています」


 社内で「大渡海」の編纂が中止になる、といううわさがたつ。
「既成事実を作ってしまいましょう」と時期尚早は承知のうえで、各分野の専門家に辞書原稿の執筆を依頼してしまうことになり、編集部員は「見本原稿」と「執筆要領」の作成に取りかかる。
手薄だったファッション関係の専門家に先行して連絡を取ったため、出版業界で「玄武が新しい辞書の編纂に着手したらしい」と噂されはじめた。
 「だったら、噂をもっと広めてしまえばいい。これぞという専門家にどんどん原稿を依頼し、玄武書房辞書編集部がいかに本気か、社の内外に知らしめる」という作戦だ。

 しかし「執筆要領」1つを書くのも、言葉を選んでいくというのは、至難の業だ。
 
ひとつの言葉を定義し、説明するには、必ずべつの言葉を用いなければならない。言葉というものをイメージするたび、馬締の脳裏には、木製の東京タワーのごときものが浮かぶ。互いに補いあい、支えあって、絶妙のバランスで建つ揺らぎやすい塔。すでに存在する辞書をどんなに見比べても、たくさんの資料をどれだけ調べても、つかんだと思った端から、言葉は馬締の指のあいだをすり抜け、脆く崩れて実体を霧散させていく。


 主人公を通して語られる、著者自身の言葉への熱い思いである。

 辞書づくりのためには、印刷する用紙の開発もポイントになる。製紙会社の営業マン・宮本が見本を持ってやって来る。
 「『大渡海』のために開発した自信作です。暑さは五十ミクロン、1平方メートルあたり四十五グラムしかありません。・・・それだけ薄いのに、(ページ裏の文字が透けて見える)裏写りはほとんどしません」

試作品をためつすがめつしていた馬締が、突然叫んだ。
 「ぬめり感がない!」・・・
 書棚から「広辞苑」が運ばれる。・・・「指に吸いつくようにページがめくれているでしょう。にもかかわらず『紙同士がくっついて、複数のページが同時にめくれてしまう』ということがない。これが、ぬめり感なのです!」


 「大渡海」の本格的な編纂作業に取りかかるまでに、十三年の月日がたっていた。

 でき上がった原稿を何度も推敲し、できるだけ字数を削っていく。用例がある項目は、その言葉が使われている文献をひとつひとつ確認する。その原稿に編集部員総出で級数(文字の大きさ)やルビの指示を入れ、やっと印刷所に回せる。

 試し刷りの紙で「ちしお【血潮・血汐】」という見出し語が抜けていることが分かり、アルバイト学生も動員して徹夜、泊まり込みの確認作業は1カ月に及んだ。

 「大渡海」の装丁もでき上がった。
 
箱も、本体の表紙とカバーも、夜の海のような濃い藍色だ。帯は月光のごちき淡いクリーム色。・・・本体の天地につけられる、飾りとなる花布は、夜空に輝く月そのものの銀色をしている。
 「大渡海」という文字も銀色で、藍色をバックに堂々たる書体で浮かび上がる。・・・背の部分には、古代の帆船のような形状の舟が描かれ、いままさに荒波を越えていこうとするところだ。


 なんと「舟を編む」の装丁そのままなのだ。しゃれてますね!

 この作品は、紀伊国屋書店のスタッフが選ぶ 「キノベス!2012」の第1位に選ばれた。4月に決まる 「本屋大賞」の候補作品にもなった。

 (追記)2012年4月11日
 見事「2012年本屋大賞」に決まりました。おめでとうございます。

2010年8月 9日

読書日記「三千枚の金貨 上・下」(宮本 輝著、光文社刊)


三千枚の金貨 上
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宮本 輝
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三千枚の金貨 下
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宮本 輝
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 「最近の一押しは、宮本 輝のこの本。手練れの究極のワザを見る思い。結局は誰が真の主役か分からないように出来ているが、それぞれの登場人物が実に面白くかかれている」

  昔、勤めていた新聞社の大先輩からこう伺って、さっそく本屋に走った。この本、まだほとんど広告も出ず、書評で紹介されていないのに、大先輩はどこで知られたのか・・・。
すごい読書家であるこの大先輩から紹介してもらった本が、しばらくたって話題になり、なんだかとても得をした気分になったことが幾度かある。

 桜の木の根元にメープルリーフ金貨を埋めた。・・合わせて三千枚。
  盗んだものではないし、何かいわく付きのものでもない。みんな自分が自分の金でこつ こつと買い集めたのだ。
 場所は和歌山県。みつけたら、あんたにあげるよ。
 男はそう言って、自分の病室に戻って行った。


 小説は、いささか荒唐無稽とも思える、こんな設定から始まる。

  金貨を埋めたと語った芹沢由郎は、闇の世界を自らの力ではい上がり、支配してきたファイナンス会社の経営者。肝臓がんの末期と知った芹沢は、その秘密をじっこんにしていた女性の妹で看護師の室井沙都にしゃべったつもりだった。
  しかし、室井は急患で席をはずし、モルヒネで意識がもうろうとしていた芹沢がしゃべった相手は、たまたま談話室にいた40代のサラリーマン、斉木光生だった。

  5年前に聞いたこの話しを思い出した斉木は、同じ40代の仲間2人と30代の室井と語らって、宝探しを始める。そして、ついにその桜の木がある無人の農家を見つけ、購入する。

    だが4人は、金貨を掘り出す夢を20年間、凍結してしまう。これから20年の間に、金貨以上に大切な宝物を見つけるために。

  この物語は、金貨と闇の世界と熟年男女の絡み合いという筋を借りて、日本が歩んできた成長とこれからの衰弱、成熟を描こうとしたのかもしれない。

 そのためか、話しの展開の合い間、合い間に、大人の美学を彩る豊潤な材料がちりばめられている。

 斉木光生が幻想までみるほど満喫したシルクロード・フンザ、への旅・・・。
 シャンパンの「ヴーヴ・クリコ」、ヘミングウエイが愛したダブルの「フローズン・ダイキリ」、「仄かに海草の香りがするシングルモルトのロック」(たぶん、アイラ島産?)・・・。
 骨董店で見つけた伎楽天女の石像、水墨画、故郷の母が経営するこだわりの蕎麦店、指 物師の名人が作った菓子入れ、フォアグラのおかか和え、おでん屋でシメに食べる鯨の身 とコロが入った餅・・・。
 そして、いささかへきえきするが、ゴルフについてのあくなきうんちく・・・。

 斉木光生は、こう語る。
 「人生って、大きな流れなんだな。平平凡凡とした日常の連続に見えるけど、じつはそうじゃない。その流れのなかで何かが刻々と変化している」


 ところで、読み進むうちに著者の誤謬ではないかと思われる箇所を見つけた。

 小説の冒頭では、秘密をもらした男は「自分の病室に戻って行った」と書かれている。
 とろが終わりに近い箇所ではこんな記述がある。(看護師の室井沙都が)「やっと談話 室に戻ると、斉木光生はいなくて、芹沢由郎だけが車椅子に座っていた」
 これは、小説が連載されていた雑誌「BRIO」(光文社)が突然、休刊になったためのちょっとした校正ミスなのか、それとも著者の読者に対する「ちゃんと読んだかい」という問いかけなのか・・・。

 ここまで書いて、パソコン机の脇に同じ著者の「にぎやかな天地  上・下」(中央公論 新社刊)が読んだ後、横積みしたままだったのに気づいた。

にぎやかな天地〈上〉 (中公文庫)
宮本 輝
中央公論新社
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1 ステレオタイプの権化
4 しっかりした展開で一気に読ませるが、ラストが...
5 発酵食品と人間関係の不思議
5 新刊が出ると必ず読む
3 発酵食品に付いて学べます

にぎやかな天地〈下〉 (中公文庫)
宮本 輝
中央公論新社
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おすすめ度の平均: 4.5
5 連綿と繋がる生死
3 にぎやかな発酵!?
5 本年のベストワン
 この本もさきほどの大先輩に推薦していただいたのではなかっただろうか。2005年の9月とかなり前の発刊だ。昔いた新聞社の朝刊に連載されていたのを思い出した。

 勤めていた出版社がつぶれ、非売品の豪華限定本制作で生計をたてている船木聖司は、スポンサーである謎の老人・松葉伊司郎から日本伝統の発酵食品の本を作りたいと依頼される。

 滋賀県高島町「喜多品」の鮒鮓、和歌山県新宮市「東宝茶屋」のサンマの熟鮓、同県湯浅町「角長」の醤油、鹿児島県枕崎市の「丸久鰹節店」。聖司が取材をした発酵食品の名店はすべて実在の老舗。著者自身が取材を重ねたところらしい。

 祖母が育て、母親が受け継いだ糠床のレシピがすごい。「昆布茶の粉末、いろこの粉末、鮭の頭、和辛子、鷹の爪、残ったビール、魚や野菜の煮汁・・・」

 鹿児島の「丸久鰹節店」で、夫人に勧められた木の椀に入ったお汁。「削った鰹節に熱湯を入れ、ほんの少し醤油をたらした」もの。「これにとろろ昆布を入れたら・・・」
 今晩やってみようか、と思う。しかし、気づいたら、小袋に入った花ガツオはあっても 鰹節がない、鰹削り箱がない・・・。

2009年6月11日

読書日記「時が滲む朝」(楊逸著、文藝春秋刊)

時が滲む朝
時が滲む朝
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楊 逸
文藝春秋
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おすすめ度の平均: 3.0
3 中国人が書いた日本語小説というジャンル
3 こなれてないのが味わいに
2 芥川賞とブンガクの劣化、ここに極まる
2 申し訳ないが、率直な感想
4 けりがつけれないけど、時が流れる


 ちょっと、ブログを書く時間が空いてしまった。風邪気味が続いた(新型ではありません)こともあるが、何冊か読んだ本はどうしてもブログに書く気にならず、他の本を探したくても情報源の芦屋市立図書館が新型インフルエンザ対応や所蔵図書の整理とかで休館続き。

 しかたがなく、居間のワゴンに1年近く積読してあったこの本に手が伸びた。しかも読んだのは、表題の単行本ではなく「芥川賞受賞全文掲載」と銘打った文藝春秋2008年9月特別号(790円)。JR芦屋駅近くの書店に在庫として残っていたのを「安いからマーいいっか」と買っておいたものだ。

 読み終えたのは、たまたま天安門事件20周年の前日だった。著者楊逸(ヤン イー)さんインタビューに答えて「あの事件(天安門事件)のことを書きたいと思いました」と答えている。中国の民主化運動というテーマに取り組んだ重―い本と思ったが、中国の若者の生きざまと苦悩を描いた青春小説だったのは意外だった。

 1980年代に中国西北部の農村に育った主人公は、親友と一緒にあこがれの大学で入学。日干し煉瓦で造られた家でなく「階段のある家に住みたい」という憧れは、大学の宿舎に入って実現する。しかし部屋は4組の2段ベッドだけでいっぱい。学生たちは、夜明けとともに公園のベンチで勉強、友人が持ち込んだテープから流れるテレサ・テンの「甘く切ない」"ミー・ミー・ジー・イン(中国語でみだらな音楽の意)"に感動し「口のなかに大量分泌された唾を思い切り飲み込んだ」りする。

 なにか明治か大正時代の小説を読むような、ういういしい青春風景である。

 有志で作った文学サロンで、北京の学生の間で始まった民主化運動を知る。

 
「民主化って何ですか?」
 「つまり、中国もアメリカのような国にするってことだよ」
 「アメリカみたいな国?どうして?」
 「今、官僚の汚職が多いからでしょ・・・」


 市政府前広場での連日の「集会、デモ行進、時には座り込み、ハンスト・・・」
 
「これからは、政府にどんな要求をするのですか」

 「もちろん民主化するように」

 「どうすれば、そうなれるんですか?」

 「欧米国家みたいに与党があって、野党があること。互いに監視しあい牽制するからこそなれるんだ、一党支配のままじゃ独裁国家だ」

 ・・・

 「へえ」皆初耳だったが、納得した気になった学生たちの目からは、気だるさがすっかり消え、希望が満ちてきた。


 しかし、天安門事件が起こる。主人公はやるせない思いで酒を飲みに出かけた食堂で労働者とけんかをし、大学を退学になる。

 残留孤児の娘と結婚して来日するが、北京五輪に反対運動をしても周りに受け入れられず、苦い挫折が続く。

 日本語を母語としない作家が芥川賞をとったのは、初めてだという。前作の「ワンちゃん」よりは、かなりいい日本語になったらしいが、文中にはちょっと気になる記述がみられる。

 夜空に雲をくぐりながら、楽しそうな表情の三日月に見つめられているとも知らずに。ひたすら前に進むと、風と水とが奏でる音が聞こえてきた。

 大きな澄み切った目は、山奥の岩石の窪みに湧いた泉のようで、黒い眸は泉に落ちた黒い大粒のぶどうの如くに、しっとりとして滑らかである。


 「白髪千丈」の国の人が日本語を書くとこういう表現になるのかと、いささかあ然としてしまう。

 月刊・文藝春秋2008年9月特別号には、選考委員による「時が滲む朝」の「芥川賞選評」が載っている。
 石原慎太郎は「単なる通俗小説の域を出ない」と酷評し、村上龍は「日本語の稚拙さは・・・前作とほとんど変わりがない」と受賞に反対している。宮本輝も「表現言語への感覚というものが、個人的なものなのか民族的なものなのかについて考えさせられた」と書く。
 一方で夏澤夏樹は「中国語と日本語の境界を作者が越えたところから生まれたものだ」と評価している。

 著者は、芥川賞受賞記者会見(動画)で「好きな日本語は」と聞かれ「土踏まず」と答えている。足の裏のあのくぼんだところだ。

 おもしろい感覚と思う。これまでの日本語表現を越えたジャンルを切り開いていくのかもしれない。

 ▽余録・村上龍が語る「時が滲む朝」受賞裏話VTR(右下の楊逸さんの写真をクリック)